かなしいことだけ集めたい

鹿児島帝国で生存中

ワンダーフォーゲルを聴き直したりしている。あと、俳句。

最近なんとなく俳句が好きです。ツイッターの俳句botをよく見るとか、まあそのくらいなんとなくなんですが。

 

 

「足る」という言葉が恐らく「垂る」を連想させ、あるいは「満足」という意味を呼び寄せ、そこで隣りあった「満ちる」という語のせいか、なにかしら液状のイメージが浮上する。「一日」と書かれた容器に、どぷどぷと液体が注がれていく。それはゆるい粘性をもった液体だ。液体は容器のなかで凝固し、ゼラチン質の塊りとなる。そのなかには、黐の花も一緒にとじ込められているだろう。それを内側から、低音が揺らす。表面は波打ち、黐の花が震える。そんな様子を眺めているだけで、一日が終わりになればいい。

 

さて、この句に惹かれたのは、やはり「低音」という語句が目に付いたからで、それはここ数ヶ月、他人と音楽の話をする機会が、普段より少し多かったからです。8ビートと16ビートの違いなんかも説明してもらって、なんとなく理解できた気がしたので、この曲はどっちかなー、と思いつつ聴いてみるのが楽しかったりします。まあ全然わかんないんだけど。とりあえず、ハイハットとかが分かりやすそうなのでそれっぽい音を追いかけてみると、これまでとは違った聴こえ方がするので不思議です。

 

例えばくるりの「ワンダーフォーゲル」。

 

www.youtube.comクリストファーはいつだって16ビートだ!たぶん。

 

基本的には四つ打ちの8ビート。一歩一歩、それこそ「何千マイルも歩い」ていけそうな着実なリズム。ところが「いまなんで曖昧な返事を返したの」から、ここに16ビートの打ち込み音(?)が加わる。これが曲全体をスッと軽くする。そうか「翼が生えた」っていうのはこのことなんだと気付かされる。

となると、2番でもきっと同じ展開があるのだろうと期待が高まる。「矢のように月日は過ぎて」でまた16ビートを使ってくるんだろう。歌詞からしても間違いない。ところがそうはいかないのだ。あの16ビートが入ってこない。まだか、まだかと思いながら歌詞を追いかけていると、その罠に気付く。そう、「ぼく」はいつのまにか「息絶え」ているのだ。ちくしょう、やられた!そして「なに食わぬ顔で」また例の16ビートがはじまる。

 

やられた!岸田にやられた!ちくしょう、岸田め!一生ついていくぜ!

 

そんな感じ。