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かなしいことだけ集めたい

鹿児島帝国で生存中

レジと特攻

春ですね。いやもう下手したら夏っぽくない。そんなのってあんまりだよ、まだ4月だよ……。 そんな時は、カタコトの「夏じゃない(チルドルームサマー)」を聴きましょう。

夏じゃない(チルドルームサマー)

夏じゃない(チルドルームサマー)

 

サマージャム95’はまだiTunesの奥に閉まっておこうか。くるりの春風でも聴きながらあいつがくるのを気長に待つ。

うむ、夏じゃない、夏じゃない。

 

で、この春はものすごく無為に過ごしていて、とはいえこんな春は人生初めてだというわけではなく、5年前にもこんな春がありました。そういえば計画停電とかしてましたね、5年前。当時山梨にいて、そのときは夏っぽくないというか冬でしょこれって感じで、コタツも使えず毛布にくるまって過ごしてました、確か。で今度は電力自由化ですか。ふーむ、まあそういうの全然関係ない話なんですが。

 

思いがけず大学5年生になってしまい、仕送りがストップされていたので、ぼくはレンタルビデオ屋でアルバイトをはじめました。ぼくと一緒に採用されたのは高校を卒業したばかりのフリーターの女の子で、彼女とは休憩時間が重なることが多かったのですが、ある日ふたりでロッカールームで休憩していると、心理テスト出していいですかと言われ、いやそういうの信じてないからとかなんとか曖昧な返事をしているうちに心理テストは始まりました。誰もいない道に財布が落ちています拾いますか拾いませんか、というようなもので、拾う→ズルい、拾わない→真面目という、それは心理でもテストでもなくないか???という衝撃の内容でしたが、わたし拾わないから真面目なんですよー、とニコニコしている彼女の様子に、なぜか少しビビってしまいました。でもその子はぼくより随分仕事ができて、クーポンやなんかのちょっとめんどくさいレジの処理もぼくよりスッと覚えていて、覚えの悪いぼくはけっこう助けられたりしていましたね。
もう一人よくシフトが重なったのが、ぼくと同じ大学の出身でフリーターをしている一つ上の女のひとで、このひとの彼氏とは顔見知りだったこともあって、帰りの電車なんかでちょこちょこ話すようになりました。わりと趣味もあって会話するのは楽しかったのですが、後日ぼくが発したイタい発言(歌詞の入っている音楽を聴くのが疲れてきた、というような、たしかにイタい発言。他にも多数。全体的に発する言葉全てがイタかった。)を抽出しtwitter上であげつらっていることを知ってしまい、けっこう死にたくなりました。
バイトリーダーっぽい30くらいの女性はなぜかいつもランチパックのハム&マヨネーズみたいな匂いを発していたのが謎で、たまに駅まで車で乗せてくれた店長はマニュアル車に乗っていて、これみよがしにシフトチェンジを繰り返していました。こんな感じで、ぼくはこのバイトがあんまり好きじゃありませんでした。

さて話は変わって先日、ゲストハウスで知り合ったドイツ人と一緒に知覧にある特攻平和会館に行ってきました。

www.chiran-tokkou.jp

 

ドイツから東京の大学に留学していて春休みを利用して鹿児島に旅行してきたという彼女に、どうしてまた特攻なの?と聞くと、感動したいから、とのことでした。あるねー、そういう気分。一緒に行くかと誘ってくれたので、特攻とか興味ないなーと思いつつも、ドイツ人と行くのはなんか面白そうだったので行ってきました。何より暇だしね。

HPの「特攻平和館とは」を開いてみると、「特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことは、再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろうと思います」とあります。同じようなことが会館に入ってすぐのところに書いてあり、そういう風に個人の感情をサクッと都合良く全体化してしまうのはなんにも反省になっていないのでは、といきなり不安になります。メインの展示物である特攻隊員や家族の手紙は胸アツなのですが(とくに特攻隊員の母親が息子にあてた、特攻するその瞬間にナムアミダブツを唱えてくれ、それだけが母の望みだと懇願する手紙には迫るものがありました)、それだけにその「感動」に押し流された展示になってしまっているという印象です。「負の遺産」の展示ってそれでいいのかい??広島の原爆ドームみたいに有無を言わさない圧倒的なエグさを提示するっていうのは、文章がメインの展示では難しいのもわかりますが。でもそれをしないと「これ特攻美化じゃないの?」というツッコミは避けられないし、実際そうなんじゃないと思わせる危うい内容だと思いました。アメリカの艦隊に命中したことを「成功」と表現する展示があったりもするし。美化したい人は勝手にすればいいと思いますし、そもそも一緒にいったドイツ人のように感動したいという需要はあるんだからそれはそれでいいと思いますが、「再び戦闘機に爆弾を装着し敵の戦艦に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対にとってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならない」(同上HP)というならやっぱり、「感動」に流されてるだけじゃダメだろう。具体的な物がないのであれば、「じゃあ誰に特攻の責任があったのか?」というところまで示さないとこの施設的にはダメなんじゃないか?と思ってググっていたらBLOGOSにこんな記事がありました。

blogos.com

記事の中で、戦争責任に触れていないではないか、というドイツ人記者のツッコミにたいして平和会館の参事は、いち地方自治体である南九州市は戦争責任に答える立場にはないと答えているので、責任問題に触れていないのは意図的にそうしているようですね。加えて知覧や特攻について研究しているという静岡大学のシェフタル教授が、もともと追悼施設としてはじまった施設で、60年間の伝統があるから、戦争責任の問題に取り組むにも時間がかかる、個人的にはやるべきだと思うけど、とお茶を濁すような発言をしています。60年間曖昧にしちゃったんだから、急には無理だよね〜、というのは割となめられているような感じですが、この記事の答弁を読んでも実際そうなんだからしょうがないでしょう。戦争責任という紛糾しそうな話題はスルーします!でも世界記憶遺産にはしてね!という決意が感じられる記事になっていますので、お暇な方はご一読を。(にしても世界記憶遺産とかほんとどうでもいいよな)

 

そんな感じでモヤモヤしたし、そもそもあんまり「感動」するのは好きじゃないのでぼくにとってはなかなか疲れる施設でした。なので『永遠の0』とかが好きなひと以外にはとくにオススメはしません。ドイツ人的にはどうだったんだろうと思い感想を聞いてみると、遺書や手紙の英訳が微妙で感情移入できなかったとのことで、そうかドンマイ蕎麦でも食べて帰ろうぜとなったのでした。蕎麦屋さんでは「親子丼」というネーミングセンスが残酷すぎる、「それ行け」の「それ」ってなに?くるりの「東京」はドイツ人からしても泣ける、日本人はなんでみんな星野源好きなの?などの有意義な会話がすべて日本語で行われたのですが(3ヶ国語話せる才媛だった)、そのなかで一番びっくりしたのが、ドイツでは、レジ打ちは座ってやるという話でした。どうも欧州ではそれが一般的で、あちらに旅行に行った日本人が驚くというあるあるネタのようです。
その事実というより、自分の中にはレジ打ち中に座るという発想がまったくなかったことに気づいておどろきました。レジ即直立。レンタルビデオ店でのバイトがすきじゃなかった理由のひとつにレジ打ちがクソ嫌いだったというのがあります。退屈なのはさておき、姿勢が悪いせいか筋肉が足りないせいか、ずっと立っていると足や腰が重だるくなって辛かったです。でもはやく帰りたいとは思っても、座りたいとは、思わなんだなー。

 

立ってると疲れるから座りたい、その当たり前の発想ができてなかったことに、ちょっとゾッとしました。
飛躍が許されるならばですよ、飛行機で突っ込んだ彼らと、レジのなかで立ちっぱなしなぼくたちは、どこか似てやしないか、とか考えてしまいます。立ちっぱなしのぼくたちは過労死する系のぼくたちになりやすことを考えたら、大した飛躍でもないのかもしれないし。そもそもなんで立ってしてるんだろうと考えてみると、客が立っているのに店員座るのは失礼じゃないか的な発想が根本にあるだろうことを考えるとますます飛躍ではない気がしてきます。

この苦痛は受け入れなきゃならない苦痛だとあっさり受け入れてしまう。そんで多分、こういう性質を持っている人間は、他人に苦痛を強要する側にだってなりやすいだろうなと思います。「だってこんなの当たり前のことじゃないか」

苦痛を受けるのも、押し付けるのも、回避したい。

 


それには、もっと解像度をあげよう。苦痛を苦痛として見抜く目を。そしてそこから逃げ出そう、というのは無職がいうとあんまりにも自己弁護のようで、ちょっと引くな。