かなしいことだけ集めたい

鹿児島帝国で生存中

グリンピースに恨みはないが

グリンピースに恨みない。まったくない。

緑色で、小さくて、丸くて、結構いいじゃんと思う。緑色の平和。

にも関わらずこれから、グリンピースへの不満を書き連ねようと思う。そこには、書くべき文章がうまく書けず、かといって机の前を離れるともう再びPCに向かう気力がなくなりそうなので、とりあえずなんでもいいから適当に文章でも書いてればいいやという、書き手の都合がある。

 

この豆にはじめて出くわしたのはいつか。ちょっと記憶が定かではないが、ミックスベジタブルの線はかなり薄いと思われる。俺の母親は農家の出のため、その手の非自然的野菜食品は嫌いなのだ。野菜は、群馬県は赤堀村の畑でとれたものが一番だと思っている女だ。だからミックスベジタブルなんて息子には食わせなかったはずだ、多分。気づかないで食っていた可能性はある。しかし息子としては母の農家の娘としての矜持を信じたいと思う。となると怪しいのがシュウマイである。

 

とりあえずシューマイで行こう。これは仮定の話だ。

生まれてはじめて見るシューマイ。なんだこれは。白い。小さい。丸い。この匂いは甘くはないな。しかしこれはギョーザってやつとは違うのか?似てるよな。でも違う。ギョーザにはこんな緑のやつは載っていなかっただろう。となるとこいつが、シューマイをシューマイたらしめているのか。にも関わらずところどころ落っこちているのはどういうことだ。けしからん崎陽軒。と思っただろう。なので俺はシューマイをシューマイたらしめているこの緑の小さな徴を、律儀に、丁寧に、きちんと真ん中にのせ直してから食べる。ははん、これはおおむねギョーザだな。むしろ大した香りもしないからには、ギョーザの格落ちだなと即座に侮る。俺が俺の意思でシューマイを注文することは金輪際ないだろうと即断する。シューマイに完全に興味を失った俺は、ではシューマイをシューマイたらしめていた緑の球体を、これだけで喰ってやろうかと思う。そうすることでシューマイのシューマイ性を奪ってやろうという冒涜的な気持ちが湧き上がる。幼いながら器用に箸を使い、おもむろに口に含む。舌の先で転がす。ふむ、悪くねえ。で、ぷちりと噛み潰す。そこであの青臭さが口いっぱいに広がる。

 

うへえ、これは、ひでえや。

 

 

そんな不幸な出会いがあったかもしれない。まあ恐らくなかっただろう。

その後、グリンピースとの付き合いは主に給食を通してのものだったように思う。

教室という名の閉鎖空間。教師とかいう変人ども。変なトレーナーを着た俺。農家の娘である母。そして端的にクソ以下の同級生たち。こんな環境で食う飯がうまいか?いや、麻婆豆腐は文句なしにうまかった。あの異常なオレンジ色の麻婆はなんだ?どこの中華屋で食えるんだ?日々のおかずとトレードで異常な量のスイカを食ったこともあったね。あとはサバ味噌と牛乳が合わなすぎて吐いたりもした。

で、肝心のグリンピースもちょいちょい顔出してたよ、ピラフとかさ。シューマイの時よりひどい味だったなあれは。なんていうか、底知れぬ悪意を感じたよ。小学校ってそんな場所だったからね。

 

それ以降、グリンピースとの関わりで、とくに語るべきものはないように思える。

食べてないって訳でもないんだけど、グリンピースを食べたかどうなかんて覚えてる暇がなかったから。もっと覚えることはたくさんあったんで。友達に彼女が出来たときになんて言ったらいいかとかね。それでさっきようやく、ほんとに久しぶりにグリンピースについて考えてみたら、こんな文章が吐き出されたという次第。

まあ俺の怨嗟なんてこんな1500文字くらいのもんだよ。大したことないだろう。だからグリンピースは安心してくれていいよ。堂々とやってくれ。小さき豆よ、たぶん世界はきみを愛しているから。